アルバム165

               

1974.12.24. 白いコンサート 中央会館 と記されています。

刀、及び刀の部位を使った諺が以外に多い事に気がつきましたので、

ちょこし書いてみます。  鎬(しのぎ)を削る・・刀身には長さと幅

がありますが、幅で言う峰(棟) 刃の無い方から1/3の当たり

相手の太刀を受けたり鍔迫り合いで良く使われる部分。

切羽詰る・・刀の鍔(ツバ)を固定する板金の事、締め付けが強すぎて

鞘(サヤ)から抜けない・・自分の身が危うい。

以下、掲載致しましたので読んで見てちょ。

「鍔迫り合い」、「押取り刀」、「鞘当て」、「地金が出る」、「助太刀」、「相槌を打つ」、「太刀

打ちができない」、「反りが合わない」、「単刀直入」、「伝家の宝刀」、「付け焼刃」、「懐

刀」、「抜き打ち」、「両刀使い」、「目貫通り」、「抜き差しならない」、「焼きを入れる」、「諸刃

の剣」、「焼きが回る」・・細かい突っ込みは遠慮願います!!^^;

 

アルバム165」への22件のフィードバック

  1. トヨさん 「刀・太刀」は大好きです^^v
    骨董屋などでは、一般的に言われる「真剣」とはあまり言われず、
    「本身」と言われてます^^;

  2. 私の伝家の宝刀は、元気です。すんましぇん。
    削除可能です。

  3. 名刀には 刀身に吸い込まれるような力を感じ 秋水一閃 値段に切り倒されます

    刀の話に触発されて 
    首切り朝右衛門本人の実話等 幕末・明治に生きた人達の聞書き「幕末百話」「明治百話」(岩波文庫) 朝右衛門を題材にした綱淵謙錠の小説「斬」(文春文庫) 
    一読をお奨めします
            

  4. jimi さん
    こんにちは。
    私の亡き父も刀剣は15~6歳から収集しており
    古美術商でもありましたので刀はよく見せられました!!^^

  5. 学さん
    こんにちは。
    伝家の宝刀現役ですか、結構ですね!
    私のは錆付いてます!!^^;

  6. fugen さん
    こんにちは。
    ありがとう ございます! 心に留め置きます!!^^

  7. 元々’伝家の宝刀’が伝わるような家柄じゃないんで・・・・・(^o^;)

    ただ私の愛用の’牛刀’包丁なら1本有りますよ!

  8. ルーちゃん
    こんにちは。
    すっかり回復されたようですね!
    立派な伝家の宝刀です!!^^

  9. 内閣総理大臣は伝家の宝刀・解散権をいつ抜くんでしょうね。
    政治家や官僚の優遇措置・銀行などへの超優遇税制を変えなければ、一挙に浪人に戻る事を理解しているのでしょうか。
    で、今日の写真もサイコーでござります、邪念は神刀で斬り捨てました。

  10. DT33さん
    今晩は。
    神刀・・刃こぼれしてませんか!全く斬れてなかったりして!!^^

  11. トヨさん
    今晩は。
    お父様は古美術商ですか。
    去年、粗大ごみを出した時、2Mくらいの槍みたいなのを
    捨てました。あと、古い瀬戸物も大量に。
    それで、瀬戸物が入っていた木箱に”宝塚歌劇団”と墨で書かれて
    いましたが。何のことやら~。

  12. トヨ様、指摘にギクリ。
    草薙の剣並みの神刀のはずですが・・・、かなり長期に鞘から抜いていないから錆びているかも

  13. シヴァさん
    今晩は。
    本当に何のことやら~ですね!!^^^^

  14. DT33 さん
    今晩は。
    ボロボロで役立たずでは困りますね!!^^

  15. 白いコンサートって結構いろいろなステージ衣装に着替えていたんですねぇ…。
    日本に刀にまつわることわざ、符丁、故事成語などが多いのはやはり鎌倉時代から大政奉還まで武士の時代が続いた名残ですね。

    身から出た錆びなんてぇのもありますね。
    うちは先祖をたどっていくと美濃大垣藩士で家老だったと聞いています。
    しかし、幕末に藩主の戸田氏共の決断によって藩論を勤皇に統一し、佐幕派藩士の命が狙われました。

    うちの御先祖様は鈴鹿の峠を越えて桑名藩に隠れ、そこで農民に変装して明治維新を迎えました。

    桑名藩は佐幕派の重要な牙城の一つ。
    明らかに桑名の殿様で松平容保の弟・松平定敬にかくまわれています。

    桑名に逃げたのは私の曽祖父らしいですが、明治新政府の時代に自分の居場所がなくてやりきれなかったのでしょう。毎日一升升で日本酒を飲み、酒毒で幼い子供を残して短い生涯を終え、残された刀や遺品は叔父やら叔母やらの親族が持ち去り、何も残らなかったそうで、亡父から聞いた話と大垣藩史で分かった以上の話が全てでした。

    刀とか武家という話を聞くと頭に思う浮かぶのはまず顔も知らない曽祖父のことです。
    父から聞いた話では六尺あまりの大男で額にキャプテンハーロックみたいなサンマ傷があったようでした。

  16. う~ん、いつもながら、とても勉強になるブログですね。
    真剣に読みいりました。

  17. いかに武士が支配してきた時代が長かったかを物語っているようですね。
    勉強になります。

  18. トヨさん、おはようございます。
    武士用語のような言葉が使われた諺がこれだけあるとは、初めて知りました。
    改めて勉強させて頂きます。(^O^)

  19. やまちゃん さん
    こんにちは。
    私も額にアトピーに因る赤い紋所があります!
    無礼者にはこの紋所が目に入らぬかとやりますが
    全く迫力が御座いません!!^^;

  20. ごん さん
    こんにちは。
    竹光程度に読んで下さい!!^^

  21. おおや さん
    こんにちは。
    おおざっぱですが鎌倉幕府~江戸(徳川)幕府の終焉まで
    約682年に渡り武士が闊歩していましたから!!^^

  22. かずちゃん さん
    こんにちは。
    まだまだ意識せずに使っているものあると思います!!^^

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